ダイオキシン汚染の原点
海外における2大事例
1. ベトナム戦争
欧米でダイオキシン類が問題にされるようになったのはベトナム戦争での「枯れ葉剤」を発端とし、その後、農薬工場の事故、合成化学工業に起因するダイオキシン類の発生、化学廃棄物からの環境汚染等が次々と明らかになってからです。
ベトナム戦争は様々な意味でアメリカだけでなく世界中に大きな影響を及ぼしました。米軍はジャングル戦打開のため、ベトコンが潜むジャングルそのものを枯らしてしまう薬剤として「枯れ葉剤」を大量に散布しました。枯れ葉剤の散布は飛行機やヘリコプターからだけでなく、船、ジープ、トラックから、そして兵士が噴霧器を背負っても行われました。このようにし、1962〜1971年にかけて計約6万5000キロリットル(ダイオキシンとして約180Kg)もの枯れ葉剤が散布されました。その結果、ベトナム戦争後、頭が二つあったり上半身が二つある二重体児や、脳のない無脳症の子供など数多くの先天異常児が生まれ、また死産や流産が多発しました。さらに米軍人の中にも暴露による障害が発生することになりました。
2. 化学工場の爆発事故
ダイオキシンの問題がさらにクローズアップされたのは、北イタリアの化学工場で爆発事故がおこったときでした。ミラノの北にあるセベソの町に、除草剤2,4,5-Tを製造する工場がありました。1976年7月、その工場が突然爆発し、周辺地域一帯をダイオキシンの雲がおおいつくしたのです。数千人もの住民に健康被害が続出し、多くの生物が死に追いやられました。
日本における汚染の状況
1. 農薬による汚染
日本では戦後長い間農薬や除草剤として猛毒ダイオキシンを含む化学物質が生産・販売され、田畑やゴルフ場などにまかれてきました。1950年代終わり頃から70年代始めまで水田除草剤として大量に使われたPCPや、1996年まで使われていた除草剤CNPなどがよく知られています。PCPは、水田の初期除草剤として全国的に使用されておりましたが、魚介類に対する毒性回避のため水田への使用量は急減し、1986年以降出荷されておりません。PCPは農薬以外にも使用の用途があり、過去においては木材防腐剤として使用されたことがあります。しかし農薬と同様に、PCPの木材防腐剤としての使用は自主規制により使用されておりません。PCPに代わって出現したジフェニルエーテル系の農薬CNPも、現在では実質的な使用はありません。
1986年に愛媛大学の研究グループが秋田から鹿児島までの7県で水田の土壌を調査したところ、4万〜9万pg/グラムという高濃度のダイオキシン類が検出されました。このことは以前大量に使用された農薬中のダイオキシン類が全国の水田を汚染し、いまも汚染が残っていることを示しています。ダイオキシンは分解しにくい物質であるため、一度汚染された土壌はなかなかもとの状態に戻りません。(脇本忌明『ダイオキシンの正体と危険な話』)
横浜国立大の益永茂樹教授らによると、東京湾の海底に堆積しているダイオキシンは、全国で一年間に排出される総量の約半分にもなり、その発生源は、ごみ焼却など大気からが約45%、農薬に由来したものが約31%と推定されております。未だに残存する31%もが農薬起源ということから、70年代初めまでいかに大量のダイオキシンを含む農薬がばらまかれていたかが分かります。大雑把に言えば、環境を汚染し、我々が食べる魚にまで蓄積されているダイオキシンをばらまいた犯人の約31%は林業・農業等ということになります。
2. 焼却炉等からの汚染
現在、ダイオキシン汚染の原点は、一般廃棄物焼却施設ならびに産業廃棄物焼却施設等です。日本では1983年(昭和58年)に都市ごみ焼却施設のフライアッシュからダイオキシン類が検出されて以来注目されるようになりました。
ダイオキシンは、廃棄物の焼却炉など、物を燃やすところから主に発生し、大気中に出ていきます。大気中の粒子などにくっついたダイオキシンは、土壌に落ちてきたり、川に落ちてきたりして土壌や水を汚染します。さらにプランクトンや魚に食物連鎖を通して取り込まれていくことにより、食物連鎖の頂点に立つ動物に最も高濃度に蓄積されることになります。
わが国での大都市地域の大気中のダイオキシン濃度は平成8年度の環境庁調査では0.3〜1.65pg/G程度です。1pg/Gとは、1立方メートルの空気中に1兆分の1gのダイオキシンがあることを意味します。欧米の都市地域では0.1pg/G程度ですので、日本の都市はこれと比べればかなり高いと言えます。環境庁では、海、湖、川の底質、生物についてもこの10年間毎年調査した結果を公表しておりますが、ダイオキシン濃度に大きな変化は認められておりません。