環境ホルモンの目次
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8. 環境ホルモンのヒトへの影響

 内分泌系は、様々なヒトの生体機能を複雑に制御しており、この系がかく乱された場合、種々の健康影響が生じる可能性があります。現在のところ、内分泌系への薬理作用を期待して使用されたDESのような例を除き、内分泌かく乱化学物質のヒトへの健康影響について確たる因果関係を示す報告は見あたりません。しかし、一方では、野生動物の調査、あるいは、疫学調査等から女性生殖器系、男性生殖器系、甲状腺、視床下部や下垂体等への多岐にわたる影響が指摘されています。また、その影響は、直接暴露される親の世代だけでなく、次の世代にも及ぶことが危惧されています。具体的には子宮がん、子宮内膜症、乳がん、精子数の低下、前立腺がん、精巣がん、尿道下裂等への影響です。
 動物におきたことはヒトにも起きうると考えられます。しかし、同時にヒトと動物の間には大きなちがいがあることも考えにいれなければなりません。ある種の動物に大きな害をもたらしたものが、ヒトには何の害ももたらさないということがあるし、その逆もありえます。またあるヒトにはあまり害を及ぼさないものが、他の人にはひどく害を及ぼすという、感受性の違いもあります。さらには、同じ一人の人間でも、それを摂取した時期により影響の発現に違いがあります。成人になっていたら何でもない因子に対しても、幼少の時期には弱い、胎児ならもっと弱いという成長段階による違いが原則として存在します。

1). 女性生殖器系への影響
 (A) 子宮がん
 婦人科のがんで最も多いのは子宮がんです。子宮がんは子宮頚がんと子宮体がんに分けられます。子宮体がんは子宮内膜がんとも呼ばれ、胎児を育てる子宮の袋の内側にある子宮内膜にがん細胞が認められる病気です。我が国では子宮体がんの発生する割合は少なく、子宮がん全体の約10%程度程でしたが、近年、増加の傾向にあり20%以上を占めるようになりました。疫学的に、動物の脂肪を好む地域に多いことが知られており、食事が肉食を主とする欧米型に変わったためかとも思われます。
 病理組織学的には子宮頸がんは扁平上皮癌、子宮体がんは腺癌からなり、発癌因子として前者ではヒト乳頭腫ウイルスの感染が指摘されており、後者ではホルモンとの密接な関連が指摘されております。子宮体がんのリスク要因は乳がんのそれと共通し、月経期間、出産、肥満などが挙げられるほか、閉経後のエストロゲンの補充療法などもリスクを上昇させることが知られております。環境ホルモンにはエストロゲン様の作用があるところから子宮体がんのリスク要因としての可能性があるわけです。
 (B) 子宮内膜症
 子宮内膜症とは子宮内膜組織が子宮以外の部位、例えば卵管や卵巣、腸などに付着して、それがエストロゲンに反応して増殖する病気で、女性不妊の原因にもなります。子宮内膜とは子宮の内側を覆う粘膜組織のことで、月経周期にあわせて徐々に厚みを増し、排卵後に受精卵が着床してそこで胎児が育つための準備をくり返しております。受精が行われないと子宮内膜組織は体外に排出されることになります。
 子宮内膜症と環境ホルモンの因果関係を考慮すべきアカゲザルの実験があります。米ウィスコンシン大のグループがアカゲザルにダイオキシンを、餌1Kgあたり25 ng、5ng、無添加対照群の3グループに分けて観察した結果、中等度以上の子宮内膜症になったアカゲザルは25ng群では7匹中5匹、5ng群では7匹中3匹だったが、対照群では3割に軽い症状が見られただけでした。この結果から、内分泌撹乱物質が子宮内膜症の因子の一つであると考えられるようになりました。
 ヒトの子宮内膜症と環境ホルモンの因果関係は原因は今のところ定かではありません。しかし、ここ近年の増加傾向の因子は、子宮内膜がエストロゲンの作用によってできることを踏まえると、ダイオキシンなどの内分泌撹乱物質が発症に関連している可能性は十分考えられます。今後さらに研究を積み重ねる必要があります。
 (C) 乳がん
 世界的な規模でみると乳癌は女性の癌の中で第1位の発生率と死亡率を示しており、ほとんどの欧米諸国では乳癌が女性の癌発生の第1位にランクされます。これに対して日本人女性の乳癌発生率は米国の1/4〜1/5ときわめて低いのが特徴的です。しかし、近年我が国においても乳癌の増加は著しく、近い将来女性の癌の第1位になることが予想されます。日本人の乳癌は発生率の上昇のみならず、生物学的性状からみても欧米化現象を示します。乳癌は他の癌と比べ比較的予後は良いが、十分な手術がなされているにもかかわらず30%弱の患者は再発し、その生命が奪われております。男性も乳がんになることがありますが、女性の100 分の1ぐらいの発生率で50-60才に最も多くみられます。
 がんにかかりやすい人を「リスクの高い人」と言います。母親や姉妹に乳がんになった人がいる場合は、乳がんのリスクが少し高くなります。カロリーの高い食事、脂肪の多い食事をよくとる肥満ぎみの女性や、初潮年齢の若い人、閉経年齢の遅い人、子供の数が少ない人や子供のいない人、最初の出産年齢が遅い人もリスクが高いと言われています。
 環境ホルモンが乳がん細胞の異常増殖を引き起こした報告があります。米国ボストンのタフツ大学医学部のソトー博士らが乳がん細胞を用いた実験中に、乳がん細胞が異常増殖を引き起こしました。その原因を追求した結果、実験に用いていた試験管からノニルフェノールという合成化学物質の一種が溶出していることが判りました。 またこれと同じようなことが、カリフォルニア州のスタンフォード大学医学部でも起こりました。こちらではプラスチック製のフラスコからエストロゲン類似物質であるビスフェノール−Aが検出されました。これらのプラスチック容器に含まれる環境ホルそンのほとんどは、加熟することで溶出量が増すので、プラスチック容器の使用には注意が必要です。
 流産予防の目的で1940年代に使用されたDESについては、使用した母親から生まれた女児の思春期や性成熟期における膣がんとの因果関係が確立しておりますが、母親自身についても、約30%の乳がんリスクの上昇をもたらすことが報告されています。
 閉経後のホルモン剤の補充療法については、生体内における高濃度のエストロゲン環境の継続は、乳腺細胞の増殖を促進することにより、乳がんの発生に密接に関与すると考えられます。 一方、大豆などに含まれる植物性エストロゲンは、血清中のエストロゲン濃度を低下させ、乳がんのリスクを下げる可能性が示唆されており、日本人の乳がんの少なさとも関連するとの指摘もあります。

2). 母乳汚染
 環境ホルモンは、脂肪に溶けやすい性質をもつため体内に摂取されると脂肪に蓄積されます。母乳中の脂肪含有率は3.5パーセント前後ですが、環境ホルモンはその中に濃縮されて乳児へと移動します。それ故、乳児は母乳を通じてごく短期間に高濃度の環境ホルモンを取り入れることになります。乳児の汚染レベルは授乳期間が長いほど上昇し、それと対照的に母親の汚染レベルは投乳期間が長いほど減少します。また、第一子と第二子では、第一子の方が汚染レベルが高いことも判っております。母親は授乳することによって汚染物質を排出し、子供は母乳を通じて濃縮された物質を受け渡されるという皮肉な構図ができあがります。
 実際に乳児は一日にどれくらいの環境ホルモンを母乳から摂取し、体外に排出しているのかをダイオキシンを例に考えてみました。九州大医療技術短大部の長山淳哉助教授の計算では、乳児は一日に体重1キログラムあたり70〜340pg(TEQ)/g脂肪ものダイオキシンを摂取しておるそうです。実にこの値は成人の許容摂取量の7〜34倍に相当します。次に排出を考えると、ダイオキシン類は尿からはほとんど排出されないため大便からの排出しかありません。大便からの排出は、一日に6.8ng(TEQ)/g脂肪で、排出率にすると約1.7パーセントです。残りの約98パーセントは乳児の体内に蓄積されることになります。この値はダイオキシン類についてだけ考えたものであり、母乳中にはダイオキシンの他にも、PCB、DDTなどの環境ホルモンが含まれております。
 今日、母乳が環境ホルモンによって汚染されていることは明らかです。汚染された母乳を飲んだ乳児には影響がないのだろうか。今のところ汚染された母乳を飲んで育った子供を長期的に調査したデータがないため、その影響についてわがらないのが現状です。しかし、現在のところ子どもを母乳で育てるか、それとも汚染を避けるために人工乳で育てるかは母親の考えにまかされております。WHOなどは、「母乳中にはダイオキシンやPCBが含まれているが、母乳栄養には乳幼児の健康と発育に関する利点を示す明確な根拠があることから、母乳栄養を奨励し推進すべきである」としています。

3). 男性生殖器系への影響
 男性の精子数がこの50年間で半減した、精巣ガンや前立腺ガン、生殖器の奇形(停留精巣、尿道下裂、小陰茎症など)が増加している等という報告があります。確証があるわけではありません。しかし、生殖は全ての生物にとって種の存続を左右するメカニズムであり、生殖機能への影響はその可能性が想定される以上、証拠があっても無くても、現時点で最優先課題として取り組むことが必要です。
 (A)精子数の減少に関する内外の報告
 1950年代以前、ヒトの精子濃度(精液1mlあたりの精子数)の平均は一億個以上、正常値は6000万個以上というのが医学界の常識でした。1974年、米国のNelsonとBungeは避妊目的で精管結紮手術を受ける前の男性386人の平均精子数が、それ以前の報告例(多くの例で一億個/ml以上)に比べて予想外の低値(4800万個/ml)を示したことを発表し、何らかの環境因子の関与を指摘しました。1979年、MacLeodがNelsonとBungeの論文を批判し、15,000人以上の男性を対象とした10年間の調査の結果、精子数に減少傾向は見られないと結論付けました。これにより精子数減少に関する論争は一旦静まりました。
 1992年にCarlsenらは過去の世界中の科学文献を調査し、健康男子の精子数のデータを洗い出し、British Medical Journalに投稿しました。その内容は最近50年間でヒトの精子数が半減しているという衝撃的なものでした。1993年、SharpeとSkakkebaekは環境中のエストロゲンとの関連で精子数の減少や精巣がん、尿道下裂、前立腺がん、男性不妊症などといった生殖異変が増加しているという仮説をLancetに発表しました。こうした状況の中で、1997年、Skakkebaekらを中心とする正常男性の生殖機能に関する国際共同研究が発足し、現在、デンマーク、フィンランド、スコットランド、フランス、日本などで調査が行われております。
 日本における正常男性精子数の最初の報告は高島らの5700万個/mlである(1954年)。 1982年の吉田の報告によれば、精液量は3.0±0.9ml、無精子症の1例を除いた平均精子濃度は約1億個/mlでした。1984年に生垣らは1975年から5年間の結果に基づき、精子濃度は7090万個/mlと報告しております。最近では、押尾らが20歳代と40歳代の調査で、それぞれ平均精子濃度(4580万個/ml、7800万個/ml)、平均運動率(27.2%、28.0%)であったことから20歳代の精子数、運動率の低下が指摘されております。1997年11月より、川崎・横浜地域での調査が進めらている岩本らの調査では、平均精子濃度8260万個/ml、運動率54%との結果が得られております。しかし、環境ホルモンの精子における影響については今後の更なる分析が必要です。また、陰茎サイズの減少等の異常についても内分泌かく乱化学物質との関係は不明な点が多いのが現状です。
 (B) 前立腺がん
 前立腺は栗の実のような形をした男性にだけある臓器で、精液の一部をつくる臓器です。前立腺がんは、欧米では男性がん死亡者の約20%を占める頻度の高いがんですが、日本では約2.5%と比較的頻度の低いがんです。しかし、食事の欧米化および高齢化社会に伴い、その発症頻度は増加傾向にあり、泌尿器科領域におけるがんでは、日本においても最も多いがんです。罹患率は全体として10万人あたり10人程度です。45歳以下の男性ではまれですが、50歳以後、加齢とともに対数的にその頻度は増加し、70歳代では約100人、80歳以上では200人を越えるほどになります。
 前立腺がんの原因は、未だ明確ではありません。食事(脂肪・赤身肉の高摂取、野菜の低摂取)やホルモンレベルが影響を与える要因として示唆されております。前立腺がんの約90%は男性ホルモンにより増殖するという特徴を持っており、ホルモン関連性のがんの一つです。
 内分泌かく乱作用が疑われている化学物質と前立腺がんの関連については、除草剤散布やコークス炉排気などの職業的に暴露した人における追跡調査から、リスクの上昇が報告されておりますが、乳がんなどに比べて疫学的研究が少なく知見に乏しいのが現状です。
 (C) 精巣がん
 精巣は男性ホルモンを分泌すると同時に、精子をつくり生殖を可能にする臓器です。この2種類の機能を支える細胞は、同じ精巣にありながら別々のものです。男性ホルモンを産生するのはライディッヒ細胞、他方、精子をつくるもとになるのは精原(精祖)と呼ばれています。精巣から発生する胚細胞腫瘍の起源については胎児性腺において正常の分化から逸脱した異常な細胞が上皮内癌に進展した後浸潤性腫瘍(セミノーマ、非セミノーマ)に進展するというスキャケベックの説が有力視されていますが、精母細胞の減数分裂期におこる染色体(12p)の異常に基づくという説も提唱されています。(男性ホルモン並びに胚細胞腫瘍の起源についてはSatoru Kanto Md. PhD, skanto@mail.cc.tohoku.ac.jp のご教授を頂き2003年9月5日に加筆訂正。)
 精巣がんの頻度は悪性腫瘍の中では低く、10万人中に1〜2人ぐらいの割合です。好発年齢は乳幼児期と思春期以降の性的活動性が高まる時期に相当しています。発生原因は、停留精巣(乳幼児期に精巣が陰嚢内におさまっていない場合)との関係が指摘されていますが、必ずしも因果関係があるとは限りません。
 内分泌かく乱作用が疑われている化学物質との関連についての報告は少ないようです。北欧における調査では、罹患率の上昇傾向に反して母乳中のDDE濃度が1970年頃より減少していること、また、北欧4カ国の母乳中のDDE濃度が同レベルであるのに反して、罹患率に4倍の地域較差が存在することなどにより、少なくともDDEと精巣がんとの関連は薄いものと考えられています。
 (D) 停留精巣
 精巣が陰のうに下降しないままの状態で、腹腔内に留まっている高度のものから、陰のう部高位にある軽度のものまでさまざまです。原因については諸説がありますが、胎児の発育期間中でのエストロゲン暴露、出生時の体重、妊娠期間、胎児の数など数多く挙げられております。
 動物実験によれば、高濃度のDES暴露は停留精巣をはじめとする雄性生殖器官への障害を引き起こすが、低用量の場合については明らかにされておりません。ヒトの例としては、1945年から1971年の間にDESで治療された女性が出産した男児において、多くの停留精巣、尿道下裂そして生殖機能の低下が報告されています。
 本邦における停留精巣の増加の有無は診断上の問題もあり、疫学的な調査が行われにくく、明らかに増加しているとのデータはないようです。

4). 胎児への影響
 胎児は母親の子宮内にいる約10ケ月の間に劇的な成長をします。特に妊娠初期は細胞分裂が盛んに行われ、各臓器、器官が形成される一番大切な時で、ヒト胎児におけるほとんどの器官の原基は妊娠12週目頃までにできあがります。脳、心臓、手足、腹部の臓器、口、耳など身体の主な器官の基本的な部分が形成され、それ以後ヒトとしての完全な形態が作り上げられるわけです。この時期を臨界期と呼び、この時期に正常な発生を障害するような因子が作用すると、重篤な奇形が発生することになります。奇形の誘因には環境因子と遺伝的因子があります。臨界期に妊婦が有害な化学物質に暴露したり、放射線の照射を浴びたり、風疹ウイルスなどに感染すると、正常な細胞の発生・分化が障害されます。細胞分裂がストップしたり、分裂そのものがトラブルを起こしたりします。
 *先天異常と奇形*
 生まれつき身体の働きや構造に異常がある場合、一般に先天異常と表現します。奇形は広い意味で先天異常に含まれますが、個体発生の途上で生じた、肉眼的に確認することのできる形態的(形、大きさ、数、位置など)な異常であり、機能的な異常は含みません。
 かって問題となった二つの代表的な催奇形化学物質による事例から、胎児に対する環境ホルモンの影響を考えてみましょう。
 (A) サリドマイド
 1960年代初期、ヨーロッパ、オーストラリアを中心に、妊婦が精神安定剤ないしはつわりを抑える薬として服用していたサリドマイドが奇形を誘発するということが明らかになりました。 症状は種々の程度の手足の欠損が特徴的で「アザラシ肢症」と呼ばれ、内臓などの異常も認められました。子宮内でサリドマイドに暴露していた子供のすべてに手足の奇形が見られたわけではありません。胎児の四肢の成長にとってきわめて重要な時期(妊娠5週目から8週目)に服用したケースで致命的な障害が発生しております。奇形を生じた子供と生じなかった子供の違いは、母親が服用したサリドマイドの量の差ではなく、サリドマイドを服用した時期にあったわけです。
 (B) DES
 1940年頃から、アメリカでDESという名の合成エストロゲンが妊婦に投与されはじめました。当時はエストロゲンレベルが十分でないと、流産や早産が誘発されると考えられていたからです。DESは流産の予防薬としてのみならづ、快適な妊娠期を保障する「妊婦必携薬」として処方されました。しかし、1970年代になって大きな問題が発生しました。妊娠初期にDESを服用した母親から産まれた女の子に、生殖器官の異常(若年女性における膣がんの発生)が見られるようになったのです。
 胎盤は中枢神経細胞を守ってくれる脳血液関門と同じように、母体から胎児への有害物質の侵入を防いでくれる砦として機能してくれるはずでした。しかし、DESにまつわる一件で化学物質が胎盤を難なくすり抜け、胎児の成長を阻害したり、数十年後になってから大きな影響を及ぼしうる事実が明らかになりました。大人にはさしたる影響を及ぼさない薬物や化学物質でも、劇的な成長を遂げている胎児には、生涯にわたる深刻な影響を及ぼしたことになります。 これらの事実は環境ホルモンについても当然あてはまることで、胎児の生殖器などが形成される重要な発生過程で、妊婦が環境ホルモンの暴露を受ければ、胎児には決定的な異常が発生する恐れがあります。